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第20号

月刊「いばらきの地域と自治」既刊号すべて

「いばらきの地域と自治」(第20号)

長塚節生家の門(旧石下町国生).jpg


長塚節生家の門
長塚節は1879(明治12)年4月3日生まれ。1910(明治43)年、夏目漱石の推薦で朝日新聞に約5ヶ月間、『土』を連載した。『土』は常総の貧しい農民を写実的に描いたもの。37歳で病没。生家は茅葺き屋根。


 

  • 流星や学徒出陣ありし空
  • 足らざるを常とし一人走り蕎麦
  • 離農せし下戸の系譜や新豆腐
  • 筑波嶺の山容淡き小望月

作:高島つよし
(高島剛・常総市(旧水海道市)在住、元県職員、小貝保育園長、当研究所顧問)




                    

県立こども福祉医療センター 民設民営化撤回で署名運動開始

池田 茂(茨城県自治体問題研究所会員)

 水戸市吉沢町にある県立こども福祉医療センターは、県内唯一の肢体不自由児医療施設で、半世紀の歴史を持っています。隣接する水戸養護学校の子どもたちの7割はここで治療訓練を受けています。障害のある子どもたちにとってはかけがえのない施設ですが、建物の老朽化が著しく、早急な建て替えが望まれていました。
 ところが県はことし2月、同センターを民設民営化し、建設場所を現在地から7キロ離れた茨城町の「桜の郷」の開発用地に移す計画を明らかにしました。
 同センターの現状にめぐっては、施設の老朽化とともに、外来診療・訓練へのニーズの増加、障害の重度化、多様化などへの対応が課題となっていました。これにたいし県は2001、2006年度の2度にわたって検討委員会を立ち上げ報告書を出していますが、いずれも県立として機能強化の必要性を提言しています。
今回、唐突に出された民営化方針に関係者から「なぜ民営化か全然わからない」「センターの果たす役割は民間にできるのか」「現場を知らない人が考えたことではないか」などの声があがっています。
関係者は、多様な重度の障害児の治療・訓練をすすめる療育事業は「採算性にとらわれず継続して丁寧に行われることが不可欠であり、それは県立だからこそできること」として、知事あてに「民設民営化」計画をとりやめ、県立として機能強化を図ることを求める陳情署名を広くよびかけています。


投 稿

かすみがうら市下土田地内の残土問題

佐藤 文雄 (かすみがうら市議会議員)

 かすみがうら市や近隣の市町村でも不法な残土事件が後をたちません。このままでは茨城県は、首都圏のゴミ捨て場になる心配があります。
 この残土搬入問題は昨年9月26日、かすみがうら市下志筑・幕ノ内区長さんから「8月中旬頃、下土田の地権者の土地(休耕田)4千㎡の所に残土が持ち込まれた。隣接する幕ノ内集落の我々に何の連絡もない。残土が持ち込まれている場所は飯田川や周辺地域の地下水に影響を及ぼす位置にあり、<地下水及び河川の汚染が心配される>。<万一そのような事態になった場合の責任の所在はどこにあるのかハッキリしない>。<残土の発生元などに虚偽報告の疑いがある>。<情報公開も不徹底だ>。また、<残土の持込み場所までの進入道路にも問題があり、20tダンプが通れる道路ではない。既に一部道路が破損している>。許可はいったい誰が出すのか」等々の相談を受けたこともあって、私は調査とともに対策について区長さん等と一緒に考え行動してきました。
 私は、さっそく同年10月2日に市の環境経済部環境保全課に出向き聴き取り調査をおこなったところ、残土の発生場所及びその経由に整合性がないことが分かりました。
 今回の残土事件の調査過程で分かったことは、書類上は体裁を整えながら土砂の発生元等を偽り、主に東京都内で発生したマンション等の建設(?)残土を隣接県の埼玉や茨城県などにあるストックヤードに一時仮置してから茨城県内の最終処分場に運び入れている実態があるということです。特に当市においては、農地改良という名目で農業委員会の一部農業委員等が地権者に残土持込みの話しを持ち掛けていたことです。従って、施工業者とグルになって申請書類を誤魔化して県南農林事務所に申請し、許可を受けていたことになります。そして農地法による許可を根拠にして市当局に圧力をかけていたのです。当市の残土条例には『残土等を発生させる者』及び『事業に用いる土砂等の発生の場所』を明確することが規定されています。それにもかかわらず、市当局は「運用」と称してストックヤードからの残土持込みを許可相当としました。まさに手続き上は合法的に廃棄物紛いの残土搬入を強行しているのです。県が市の農業委員会のいいなりであることも問題です。

 このことは、当初、市長が「かすみがうら市の残土条例は他よりも厳しく良く出来ているので心配ない。地域の要請があれば中止ができる」と語っていたので、区長さん等は集落全戸の『中止要請』署名を提出しました。それにもかかわらず、その後、一転して「手続きに問題ない。責任は一切私がとる」などと市長の態度が急変したことにも表れています。
 今回は区長さん等の粘り強い監視活動や残土を運搬するトラックの追跡調査などによって、申請許可を受けた以外の場所からの残土持込みを突き止め、一旦は残土の持込みを中止させました。しかし、施工業者に対する軟弱な市当局の態度は変わらず、市当局は追認に追認を重ね残土の持込みを許してしまったのです。
私は、区長さん等の行動と併せて柏市と和光市の共産党議員の協力を受けて『土砂等発生元証明書』が偽造されていた事実や、施工業者が当初から「和光市のストックヤード」からの残土持込みを意図していたこと等を明らかにし、議会での一般質問などを通じて市当局や農業委員会の対応を厳しく追及する一方で、市民に対しては全戸対象に市議会報告を出し広報に努めてきました。その結果、当初計画申請許可を受けていた2箇所の内、1箇所は取り止めになりました。
 市当局は何度となく残土条例違反による許可の取消しや刑事告発する機会があったにもかかわらず、追認を重ねたため、区長さんはやむなく2月26日、県と市を相手に「許可の取消」を求めて住民訴訟を水戸地裁に起こしました。既に2回の公判が終わり8月には3回目の公判があります。
 一方、参院選と同日に行われたかすみがうら市長選挙で現職が落選。現職市長の敗因の一つに「この残土問題があった」と言われています。新市長は、施工業者への「告発」も視野に入れ、解決に前向きに取組む姿勢を見せています。今後の対応が区長さん等住民にとって良い方向に向かう事を期待しているところです。

(2010年7月30日記)


資 料

「福祉国家と生存権」

第36回茨城県自治体問題研究所総会(レジュメ)

冨江 直子(茨城大学人文学部准教授)

1 「国家」の両義性

 「国家」とは何重にも両義的なものである。

 ①「国家」は、それ自体が私たちに対して圧倒的な暴力を行使し  得るものであり、同時に社会のあらゆる暴力から私たちを保護  するものでもある。
 ②「国家」は、その内側に目線を置いてみるか、外側に目線をお  いて見るかによって、全く違った意味を持つ。
 ③「国家」という言葉には、政治・行政の機能を担う機関として  の「国家」(state)と、「国民」の共同体としての「国家」   (nation)という二つの意味がある。

2 近代国家と「個人」

 社会契約による「国家」の創設

 「国家」とは、「各人の各人に対する戦争状態」の悲惨から「個人」の生命を守ることを目的として創設された機関である。
 人びとは、自分自身の生命を維持するために、自分のカを自分が欲するように用いうる自由(自然権)を持っているが、各人の生命の安全保障と、生活の維持のための手段を確保するために、この自然権を放棄し、公共的な権力=「主権者」に譲渡する必要がある。

 「国家からの自由」としての人権
 人びとから自然権を譲渡され、唯一の公権力となった「国家」自体の権力に枠をはめ、「国家」の専制的暴力から「個人」を守るものとしての人権=「国家からの自由」としての自由権。
「国家」に対峙するのは、共同体から解放された自由で平等な「個人」である。
 自己決定をし、自己決定の結果を自分自身に引き受けるという、自立的かつ自律的な「強い個人」。
 自由権は、こうした「個人」の自由を、「国家」の権力から守る。しかし、実際には人は必ずしも「強い個人」ではない。
 「個人」の生命や自由や権利を保障するためには、「個人」を自然状態から守るために自然権を譲渡された「国家」と、その「国家」の権力から「個人」を守るための「国家からの自由」だけでは、十分でない。

3 共同体としての「国家」ー「国民」の形成ー

 「国家」は「個人」の生命や自由を守るための手段として創設された機関であるだけでなく、人びとが「国民」として帰属する共同体でもある。
 「国家」の主人となるためのさまざまな権利の付与によって、人びとは「国家」を担主体=「国民」となっていった。
 「個人」をして、能動的に「国家」に参与させるための権利=  「国家への自由」としての参政権。
 「国民」としての権利を付与されるということは、「国家」に参与する義務を負うことと同義であった(シティズンシップ)。
 「国家」が「国民」に権利=義務を付与することによって「国民」主体を作り出す過程は、それが付与されない非「国民」という存在を作り出す過程でもある。

4 福祉国家

 「国家」の変容と社会権
 20世紀になると、「国家」権力の介入を差し控えるだけでは、「個人」の自由は実現され得ないという考え方が支配的になった。
実際には必ずしも「強い個人」ではない私たちに対して、以来今日に至るまで、「国家」はさまざまな施策を行ってきた。

 「国家による自由」としての社会権。
 二つの福祉国家論
 福祉国家は、単に「個人」の生命や自由や権利のための手段であるだけではなく、「国家」や社会の利益を増進するための手段とも意味づけられる。
 福祉国家の定義:完全雇用政策と社会保障政策とによって全国民の最低生活の保障と物的福祉の増大とを図ることを目的とした国家体制『広辞苑(第六版)』(岩波書店)
 しかし、これとはかなり異なる意味で福祉国家という言葉が使われることもあった。
 『憲法改正の方向』(1964年)における「福祉国家」一公共の福祉や社会の安寧秩序をたもつために、相互作用によって人権が制約を受ける。「国民」としての当然の義務を強調する。
 一見対照的にみえるこの二つの福祉国家のあり方は、実は密接に結びついていることが少なくない。再分配や生活保障の機能を担う機関としての「国家」の形成は、同時に「国民」の相互責任、相互義務の共同体としての「国家」の形成でもありうる。
 「個人」は、権力を一元化し、正当な暴力の行使を独占した「国家」によって、社会のさまざまな暴力から守られる存在であり、同時に、強大な権力を持った「国家」の暴力から、人権によって守られるべき存在である。しかし、「個人」は、「国民」主体として「国家」に包摂されることによって、「国家」の暴力に参加する存在ともなる。

5 現代福祉国家の挑戦

 福祉国家への批判
 1970年代の後半ごろから広く語られた「福祉国家の危機」
 左右両陣営からの福祉国家批判
 しかし、今日の福祉国家にまず投げかけられるべき問いは、「弱い個人」に対して本当に生存と生活を保障し得てきたのか、ということであろう。
 現代の日本社会における貧困や格差の問題を前にして、福祉国家による「個人」の生の保障という課題が、あらためて問い直されなければならない。

 「個人」の生の保障
 福祉国家の前にいるのは、果たして「個人」だろうか。
 福祉国家の諸制度は、実際には「個人」ではなく、家族や地域や職域などの共同体一そして「国家」という共同体一を前提として設計されていることが多い。
 今日の日本社会の現実を見ると、「例外的に」家族、地域、職場などの共同体から「自由」な人びとは、福祉国家のセーフティネットからしばしばこぼれ落ちてしまっている。
 今日、こうした共同体からこぼれ落ち、それゆえにさまざまな社会制度や機会から遠ざけられている人びとの存在が、福祉国家に対する大きな挑戦となっている。
 社会的排除という問題への視点。
 「国家」という共同体から自由な「個人」に対して、福祉国家は生を保障することができるのか?

 福祉国家と自由
 福祉国家によって実現される「国家による自由」とは、いかなる自由なのか。
 私たちは、「国民」としての「国家」への参加や貢献の如何に拘わらず、「人」として生存権を保障されることができるかもしれない(憲法前文の「平和的生存権」、25条の「生存権」)。
 しかし、私たちが享受している権利が、「国民」であるという地位・身分に基づくものであることは事実である。こうした福祉国家の下では、「国家」から自由であることは必ずしも容易ではないのかもしれない。
 けれども、今日、福祉国家をめぐるさまざまな議論のなかで、「個人」と「国家」との関係があらためて問われている。

(編集責任=編集委員会)

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