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「いばらきの地域と自治」(第6号)


作:高島つよし
(高島剛・常総市(旧水海道市)在住、元県職員、小貝保育園長、当研究所顧問)


深刻化する中小業者の経営と生活(その2)

貸し渋り・貸し剥がし・貸し止め・・・悪化する資金繰り

 

松澤 博
茨城県商工団体連合会会長

 
1バブル期になにがおこなわれたのか?

 バブルがはじけた1990年代に、県内でも融資をめぐってさまざまな事件が起きてきた。K市で、銀行の支店長室に乗り込んだ不動産業者が支店長の頭を数発殴りつけ、その後自殺するという事件があった。銀行のいいなりに10億の借金をし、NTTの株を数百株購入したが、その後の暴落で担保不足になり返済を迫られ、自暴自棄になっての行為であった。ある銀行では応接室に灯油を入れたポリタンクを持ち込み、「追加融資をしないとここで火をつけて死んでやる。」と脅して逮捕されるという事件も起きている。多くの事件が公にされないまま闇に葬られている。

 バブル期の銀行融資は、まさに乱脈融資であった。「何に使ってもいいから借りてくれ」「土地の担保価値が上がったから、融資枠が増えました。あと2千万円の融資枠があります。」「ゴルフの会員権を買いませんか、資金は融資します。」と、ゴルフ会員権の販売にまで乗り出す金融機関まで現れた。土地担保の融資などまさになんでもありの状態だった。普通は担保に取ることは違法とされている農振地域の田んぼまで、高額な価格で担保設定がされていく。土地・株・ゴルフ会員権は永遠に値上がりが続くという設定である。通常、担保は現況価格の5割から6割の価格で設定されるのが普通だが、100%以上の担保価格の設定が当たり前の時代だった。

 このような、無謀な融資。借りた方が悪かったのだろうか。経営や返済見通しの甘さ、経済状況をよく認識していなかった我々の責任は甘んじて受けるにしても、生殺与奪の鍵を握っている金融機関から融資を持ちかけられたら断りきれないのも中小業者の実態である。「銀行の言うことを聞いていれば大丈夫」「困った時は私たちが面倒みますよ」とは、金融機関側の殺し文句である。
 どのような工作機械が入っているかによって下請け内容や規模が決定されてしまう下請け業者、大型店に対抗するために店舗設備へ投資を余儀なくされていく小商店などが飛びつくのは当たりまえであろう。
 バブルの崩壊は、これらの融資のほとんどが担保割れに追い込まれていく。そこからは、中小業者の生活や経営を無視した過酷な取立てが待っていた。

2 貸し剥がし・貸し渋りの時代

 担保割れ債権の取立ては強圧的に行われていく。すでに、当初設定の1割か2割にしか評価されない担保に追加の担保提供といわれても差し出す物件もなくなってしまっているのが普通である。

 金融庁など金融当局は、不良債権の解消を旗印に融資規制を強化してきていた。まったなしで金融機関は不良債権処理を強要されることになる。各地で担保物件の競売がおこなわれ、さらに、土地価格などの下落を招き、また、担保割れに追い込まれるという逆スパイラル現象が現れ、 益々融資環境は悪化してゆくことになる。そこに輪をかけたのがBIS規制である金融機関の自己資産が融資総額の国際決済銀行8%(国内銀行4%)を国際決済ができなくなるということで、株式や土地価格の下落で自己資産の目減りに悩む銀行は貸し出し枠を大幅に削減してくる。
 削減枠の多くは中小企業向けの融資枠だったことはいうまでもない。この間の中小企業向け融資残高の減少ぶりをみるとうなづけると思う。と同時に銀行のプロパー(銀行の判断)融資はほとんど姿を消して、保証協会の保障付の融資に切り替えられていく。本来、保証協会の保障は担保能力や保証人など困っている業者のためにあった筈であるが、優良債権まで保証付融資に切り替えられてしまう。これもBIS規制を逃れるために金融機関がとった手段であった。

 保証金額と不良債権の増加に対して国は、部分保証制度(保証金額の20%を金融機関が責任を持つというもの)を導入することになる。この制度の導入以来金融機関の貸し出しは更に規制され、中小業者の資金需要はさらに窮屈なものになっていくことになる。この間、政府は選挙が近づくと2度のセーフテイーネット融資制度を実施するが、不良債権を発生させると監督官庁から金融機関の責任が問われるという仕組みには変わりがないので、金融機関の融資態度は厳しさを増しているというのが実情である。(つづく)

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