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第4号

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「いばらきの地域と自治」(第4号)


  • 外灯の汚れて点るおぼろ月
  • 壁に吊る作業衣温し鳥雲に 

    作:高島つよし
    (高島剛・常総市[旧水海道市]在住、元県職員、小貝保育園長、当研究所顧問)


介護保険法「改正」と深刻化する現場の実態
PartⅡ

特定非営利活動法人 袰の会ケァマネージャー
茨城県自治体問題研究所 常任理事

高木 知子

 4月、介護保険制度見直しが行われた。桝添大臣は「介護労働者の賃金アップのために3%のプラス改定」と力説していたが、殆どが様々な条件付の「加算」であり、全くプラスにならない事業所も少なくない。
新設された「独居高齢者加算」は、「利用者からの申し出がありケァマネージャーが住民票上単独世帯であることを確認した場合月1回150単位を算定できる」という不思議な条件がついている。
 毎月訪問しケァプランを立てているのだから、利用者が一人暮らしかどうか分からないケァマネージャーなど存在しない。住民票で確認する必要があるのだろうか。第一、住民票を誰が取るのか。介護を受けている利用者に「住民票を取ってきてください」と言えるケァマネージャーはおそらくないだろう。本人の委任状をもらってケァマネージャーが行くことになる。ケァマネージャーは使い走りかと思いつつも1500円のプラスの為に走り回ることになりそうだ。

 一方利用者にとっては認定調査の内容が変更されたことにより使えるサービスの減少が予測される。
 寝たきりでベット上から動けない利用者の移乗(ベットから車椅子・ベットからポータブルトイレ等への移動)は今までは全介助とされていたが、動かないのだから介護は必要ないと判断される。口から食事を摂ることができず、胃に直接チューブで流動食を摂取している人の食事介助も必要なし。コンビニの弁当やレトルト食品を温めることができないのでそのまま食べている人の簡単な調理も必要なし。
 これでは「寝たきりの人は手間が掛かるならベットから動かさない」「食事は冷たかろうがぼそぼそだろうか食べていれば良い」と言っているようなものだ。何とか車椅子に乗れるように、温かい食事を食べられるようにと頑張ってきた利用者と介護職員の努力が、ばっさり切り捨てられたようなやりきれない思いだ。

 この変更により20%程度の人は介護度が下がると予測され、マスコミが取り上げるなど批判が集中した。厚生省は「状態が以前と変わらないのに介護度が下がった場合は暫定的に以前のプラン通りの介護が受けられるようにすることを検討している」ようだが、状態が変わらないのに下がってしまうような認定調査の改定自体をやめるべきだ。
 前回触れた病院内の介護や、同居家族が居る場合の生活援助の制限についても批判が集中し、厚生省から一律的に制限するものではないとの見解が出ている。介護保険の運用は市町村の裁量によるところが大きく、現場でおきる様々な問題は市町村の窓口に持ち込まれ判断されることが多い。国の意向に沿ってNOと回答したものが、批判を受けると「そんなことは言っていない」といわれたのではたまったものではないだろう。

 刑事もののドラマのせりふではないが「事件は現場で起きている」のだ。批判が起こる度にコロコロと見解が変わることによる混乱は当分続くだろうが、変わらないよりは遥かにましだ。混乱を恐れず、高齢になっても、体が不自由になっても、安心して暮らしていけるように、これからも利用者・市町村・介護職が一体となって現場の声を届け、介護保険を充実させるため努力していきたい。


 投 稿

児童養護施設から見た児童虐待

「こどもの里」施設長
茨城県自治体問題研究所 理事 

小林 三郎

 2000年(平成12年)に「児童虐待の防止等に関する法律」が制定され、今年は丁度10周年に当たる。児童相談所(以下「児相」)への通告はなお増加傾向にあるようであり、一方、対応機関、団体、関係者の熱意と努力により、法律、制度、諸機関の体制、援助技術等は格段の進展を見ている。しかし、発見・通告や対応の遅れから現在でも死亡事例が報道され続けており、児相、施設職員のバーンアウトや職場の荒廃も伝えられ、児童虐待をめぐる状況は多くの困難を抱えていると思われる。
 そのような状況の中で見出される問題点も多い。詳細は省略するが、例えば才村純氏(関西学院大教授)によれば、問題点として、児童虐待に係る新たなケースワーク論の必要性、児相や施設の体制強化(主として職員配置や専門性の確保)、現場対応の未熟さ(人員配置、専門性・指導者不足等)、親権制限に関する法制改革等を指摘している。

 筆者はここ1年間児童養護施設の運営に携わる機会を得た。児童養護施設は、児相や市町村(保健センター)、医療・保健機関、里親等とともに被虐待児の保護・育成・発達支援等に重要な役割を担っている施設である。短期間の経験ではあるが、ここで現場から見た児童虐待問題について二三の感想を述べてみたい。多くはすでに識者が述べているものと重なるが、現場の切実感と焦燥感をこめたものとして理解していただけたらと思う。

 まず児童虐待に係る権限が児相に一極集中したことからその強権発動が警察的対応に傾き過ぎないかとの問題である。事態の推移によっては当然強制的対応が必要となるが、それは必ず親権者等との厳しい緊張・対立関係をもたらす。そのこと自体が親権者等や関係者に福祉的ではなく警察的対応と映る。叉、突発的な保護に至るケースでは十分な説明や説得がなされないままになることはありうる。そこで保護後に対応の仕方の修正ないし修復が行われる。
 その時点で、施設の新たな役割が見える。施設では子どもを保護・養育していることから親権者等との関係を何とかして深めなければならない面が児相以上にあり、双方からの歩み寄りの機会が意外と多い。児相と親権者等との緊張関係を緩和し、強権的対応から融和的対応への橋渡しの役割を果たせるのではないかとの感触を得たのである。才村氏の説く強制と受容のバランスをとった新しいケースワークを、児相と施設の二者連携によっても展開しうるのではないかと考えたのである。勿論、施設におけるケースワーク機能の充実を前提にしてのことであるが。

 次に個別対応の必要性が痛感されることである。施設には人間不信、孤独感に苛まれている子どもが数多くやってくる。恵まれない環境等もあって学力も総体的に低い。これらに丁寧に対応していくためにはじっくりした1対Ⅰの人間関係が不可欠である。話相手になる(子どもは切望)のは勿論、例えば学習指導でも側に付いていて常につまずきを見守り、それを具体的かつ嫌がらないような雰囲気で辛抱強く面倒をみ、時には励ますといった作業を必要とするが、数人、時には十数人の学習指導を1人で担当せざるを得ない現況からは1対Ⅰ対応は望むべくもないのである。
 30年以上も改定されない職員配置基準(多少補助制度で緩和)ではこうした個別対応は至難の課題であり、早急な改善を期待したい。

 第三に、乳幼児虐待の重大性である。乳幼児期に虐待を受けた子どもの持つ心身両面の傷の深さは言語を絶するものがある。乳幼児の虐待死亡事例の調査から虐待死の4割は0歳児で、2歳以下の割合は6割強となっている。論理が多少飛躍するが、この時期の虐待防止・対応には保健師の役割が極めて重要である。無残な傷跡や亡くなった子どもの悲惨を思えばその安全確保の重要さは言を待たない。
 こうした事情もあって児童虐待の防止・対応に保健師の役割の重要性がようやく認識されてきた折に、人員不足から本来の保健業務に集中すべきとの傾向が見られるのはまことに残念である。妊娠中からの在宅指導、各種の健診、子育て支援等に携わる保健師の増員課題は、児童福祉司や施設職員のそれと匹敵ないしそれ以上のものといえる。

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