第33号
(第33号) (2011・09・22発行)
鹿行大橋
2011年3月11日の東日本大地震で落橋した鹿行大橋。パイルベント橋脚2基も湖に沈んだ。後方のコンクリート橋は建設中の新橋。行方市と鉾田市を結ぶ、北浦に架かる国道354号の橋。
屋根瓦包帯巻いてまだ癒えず
官邸はどじょうすくいで大はしゃぎ
テロ戦争武器と命が消費され
一年の保険をかける総理の座
泉 明 羅
(泉明羅・本名 福田正雄 水戸市在住、句歴 十二年、所属 元吉田川柳の会)
茨城県内の各首長は原発問題・エネルギー政策転換について何を語るか?
福島第一原発の炉心溶融・メルトダウン、そして広範な放射能汚染、30キロ圏内住民の圏外避難といった事故は、他人事ではない。東海村の東海第二原発も非常時の冷却用自家発電機が破損しあわやという事態になった。老朽化して保守点検作業に時間を割いている方が多いという代物である。福島原発事故を直視して、ノーモアー・フクシマは絶対であり、当然に、東海第二原発は廃炉としなければならない。人間が住む大地・自然を守らなければ、私たちと子孫はどこへいくのか?
下の9・30集会では、かすみがうら市長が直接挨拶され、東海村、阿見町、城里町、つくばみらい市、那珂市、取手市、水戸市、高萩市、ひたちなか市、大洗町、茨城町、の各首長から寄せられた見解表明メッセージが発表される。原発問題について各首長は何を語るのであろう。
JCO臨界事故を忘れない!原子力事故をくりかえさせない!
第11回9.30茨城集会
10月1日(土)、PM.1;30~
東海村・石神コミュニセンター
記念講演 「フクシマからの警告」 講師 伊 東 達 也 氏
伊東達也氏は、いわき市在住。原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員で、全国の原発運動にかかわり、政府・原子力保安委員会になんども要求交渉し、県議会議員としても福島県知事に挑み福島原発から住民の安全を守るために粉骨砕身されてきた。
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資 料
「震災半年~進まない復興計画づくり」
松本 浩司氏NHK解説委員
東日本大震災から半年になります。震災被災地の復興計画づくりは遅々として進まず、策定のメドすら立たない市町村もあります。
【なぜ進まないのか】
自治体の復興計画づくりはなぜ進まないのでしょうか? まず被害の規模がけた違いに大きいうえ、同じところに同じものを作り直すのではなく、まったく新しい町づくりを始めなければならないという難しさがあります。しかし、市町村がいま一番悩んでいるのは、財源を始め、計画を作るための前提条件が国から示されない、「不確定な要素」があまりにも多いという問題です。
震災半年を前にNHKは被災した42の市町村長にアンケート調査をしました。復興計画を進めるうえので問題点を3つあげてもらったところ、9割近い人が「財源の確保」をあげ、半数が「国の方針の遅れ」を指摘しました。
【消えた「高台移転」と「防災集団移転促進事業」】
市町村が「不確定な要素」に悩む最も大きな問題は「高台移転」です。「高台移転」は、国の復興構想会議が6月末にまとめた提言で重要な対策のひとつとして打ち出され、多くの市町村が復興事業の核に据えて計画づくりに着手しました。しかし7月末に示された政府の復興基本方針では「高台移転」という言葉はなくなり、「『防災集団移転促進事業』を総合的に再検討する」という表現に変わりました。
「防災集団移転促進事業」というのは、災害で人が住めなくなった地域の住宅をまとまって移転させる事業で、新潟県中越地震など過去の災害復興でも行われてきました。この事業を使って計画づくりをすることになった市町村がどういう問題に直面しているのでしょうか。
【 防災集団移転をめざす自治体の悩み 】
宮城県東松島市は市街地の65%が津波に飲まれ、市民1,000人以上が犠牲になりました。市は、震災後、市民の生活再建や農業、漁業など産業の再生に市がどう取り組むのかを示す復興計画づくりにいち早く着手し、6月なかばにはたたき台として構想図をまとめました。
大きな被害を受けた沿岸部10あまりの地区の住宅を6カ所ほどの高台に集団で移転するというものです。この構想をもとに住民にアンケート調査をしたり、地区ごとの懇談会を重ねたりして住民の意見をとりまとめてきました。その結果、2,000世帯が安全なところへの移転を希望しました。問題は財源です。
「防災集団移転事業」では費用を国と市町村が分担することになっていて、最終的に国が94%、市町村が6%を負担します。6%であっても、今回の震災では移転戸数が非常に多いため市の負担額は大きく膨らみます。そのうえこの制度では国の負担額に上限が設けられていて、それをあわせると、この事業に絡む市の負担は900億円、一般会計予算の6年分にのぼると見られます。復興対策にほかにも莫大な資金がかかるうえ、被災で税収は大幅に落ち込んでいて、今の制度のまま事業化すれば市の財政破綻は避けられません。被災地の自治体は多くが同様の状況で、国に対して国の負担割合と上限額の引き上げを要請していますが、具体的な回答はありません。
東松島市の住民の中には集団移転にいったんは合意したものの、展望が開けない状況に移転をあきらめてほかの町に移り住んだり、元の場所に戻って家を修理して住み始めたりする人が増えています。ほぼ全世帯で集団移転を決めた地区の区長は「先がまったく見えないので、住民の気持ちが大きく揺らいでいる」と話していました。市長やの職員たちも具体策を求める市民に説明をすることができず、苦しい立場に立たされています。
(NHK解説委員室 時論公論 2011年09月09日から。)
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講演要約
『桜田門外ノ変』映画化余話
宮澤 正純氏 元茨城県立歴史館史料部長
1 映画化への道
公的機関のみならず民間組織(例えば観光業者)でも、水戸徳川開藩400年に向けた行事の検討が進行していたなかで、NHK大河ドラマ「篤姫」での水戸藩および徳川斉昭らの扱いがその歴史に占めた位置・存在感に比して不十分であると批判の声があがり、平成18年頃より真実の水戸藩を描写した映画を製作しようと有志が動きだし、平成20年に「桜田門外ノ変」映画化支援の会設立に至った。完成と公開までさまざまの団体・企業・自治体から支援と協力が寄せられた。
吉村昭著『桜田門外ノ変』が原作に選ばれたのは、吉村の徹底した史料吟味にもとづく叙述、現地主義を貫く姿勢、襲った側からの論理にていねいに配慮して描いていることなどが理由である。
2『桜田門外ノ変』の成立(1990刊行)
吉村昭のあとがきから著述の意図や方法、心構えなどが伺える。さらに、小西四郎氏との対談(『歴史読本』1993)から吉村の立ち位置がいっそう明確に看取される。いくつか紹介してみると、「尊王攘夷」の意味が不明のままに執筆した原稿250枚を中途で破棄した、井伊直弼を襲撃殺戮した水戸の浪士と赤穂の浪士の討ち入りとの類似を摘示する(浪士なのか義士なのか)、井伊直弼と徳川斉昭を比較し時代が生んだ二人を照射しつつ、彦根藩にはない長い海岸線をもった水戸藩の意識(夷敵侵入の現実感)への考察、「尊王敬幕攘夷論」の存在と会沢正志斎の評価、など吉村の沈思の様を知った。
3 水戸藩の分派について
桜田門外の変が起きた頃の水戸藩の状況について詳しい分析にはいった。斉昭派と反斉昭派=改革派と反改革派=尊王攘夷派と保守門閥派の抗争の要因を結城寅寿(反斉昭派の家老)の存在、とくに「甲辰の国難」時の寅寿の言動に、また、安政2年の大地震後の水戸藩情勢(凶事録に見える変化をとおして)に言及しながら、反改革派の谷田部藤七郎と大嶺荘蔵兄弟の捕縛からはじまった顛末を詳述された。
4 参考資料の性格
最後に、桜田門外の変を研究する資料について注意すべき諸点をのべられた。桜田義挙録の類(利害関係者のおも入れした記録)、水戸藩史料の類(天狗派の者の記述)、日記、手記など関係者によって記録されたものは疑ってかかるような厳密な精査を要する。歴史館が「桜田門外ノ変」史料編纂した際は、水戸浪士の行動を目撃した諸藩からの届書(小宮山南梁年録)を参照し、桜田門に直近の①杵築藩、②米沢藩、③日比谷御門(番兵)、④古河藩、⑤馬場先門(番兵)、⑥天童藩、⑦三上藩、⑧姫路藩、⑨井伊家、などの届書をとおして行動の経緯などを客観的にリアルに示した。
自治体職員で定年後に加入される自治体問題研究所OB懇談会の「2011年度 研修会及び総会」が9月15日、「いこいの村涸沼」で開かれた。以上は、その研修会での宮澤正純氏による講演概要である。 歴史家と小説家の違いにも言及しながら、吉村昭の傑出した歴史小説の才を明快に説いた宮澤氏の講演は、非常に魅力的であった。