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第18号

月刊「いばらきの地域と自治」既刊号すべて

「いばらきの地域と自治」(第18号)


  • わが家では 貧乏神に 仕分けされ
  • 宰相は 女奉行に 手を引かれ
  • ポスターに 散歩の犬も 目をみはり
  • 物言いを つけて亀さん 甲羅干し

作:泉  明 羅

(泉 明羅・本名 福田正雄、水戸市在住、句歴十年、所属 元吉田川柳の会)



取手市財政分析学習会を開催

根本和彦 (取手市職員労働組合)

 取手市では、先般の景気後退に伴う法人税の税収減などにより「財政構造改革アクションプラン」を打ち出し、これを推進している。その内容は、人件費抑制、施設の統廃合、事務事業の見直し、受益者負担などである。
 その計画のなかには、「3年間の職員採用凍結」「保育所の統廃合・民営化」「公民館など無料施設の有料化」などが含まれ、一方で大型公共事業は手付かずの状態になっている。
 「取手市の財政はどうなっているのか」というテーマで5月29日に学習会を開いた。取手市職組が研究所に相談し、共催という形で実現したものである。市民レベルでの財政学習会として市民に呼びかけた。講師に都留文科大学の大和田一紘さんを迎えることができた。大和田さんの話は短時間で的確な指摘だった。取手の財政について「類似団体との比較でも財政力は上位」「繰出金の割合が高く、民生費の割合が低い」など指摘していただいた。内容のある充実した学習会だったが、参加者は35名。職員と議員が中心だった。組織の弱さは今後の反省点になった。
 今後、月1回程度の勉強会を予定している。テーマごと(例:人件費、公共事業、下水道負担金、保育所など)に報告者を決め、質疑・意見交換を行い、学習をすすめていく予定である。市民レベルでの財政分析活動は大変意義のあるものだと思う。今後は「住民版取手市の財政白書」を最終目標として学習をすすめていきたい。
                 


投 稿

 常陸太田市鯨ケ丘商店街 渡辺彰会長さんを訪ねて

2010.5.20編集員、佐藤英一

 空き店舗の解消を街づくりのなかで解決するという観点で、国や自治体からの支援も活用して、街の商店主らが連携して追求している事例を紹介したい。昨今メデイアでも取り上げられ、客の評判もよく、成功しつつある常陸太田市鯨ケ丘商店街である。常陸太田市役所商工課の好意で鯨ケ丘商店会長の渡辺彰さんから詳しい経緯を聞くことができた。

画像の説明

 渡辺彰さんの名刺には、「夢見る会 私たちは、商業を通してこの街で暮らしている喜びに感謝していきたい」と記されていて、一目でちょっと違うぞとの思いにいたった。興味深く聞いた話をそのとおりに紹介できないもどかしさを感じながら以下まとめた。

1 いい街だ
 鯨ケ丘商店街散策は、案内マップを片手に1時間で一周できる。このマップは商店街女性達の手作りとのことだが、広げて見るだけで楽しい。街の通りは、アンティークな店やレトロ調の小店が並び蔵も見える。時々丘の下からの急坂と交差する。どの店もテーマ性があり店主の想いが伝わってくる。なかでも街づくりに共鳴して新たに出店した若年者や主婦グループの店にそれは色濃い。そこは若者のデートスポットにもなっているようだ。しかし好事家むきには歴史町ならではの寺社巡りもよい。私は美味い店に目を奪われての散策なのだが、その店の多さに驚いた。

鯨ヶ丘のまちづくり.jpg

2 商店街づくりに15年余 
    いまや「想い」をこめた店や街づくり応援団の活動で街に活気が
 家業の維持に重きを置いた経営体質の店が商店街へのニーズをとらえ、自己変革を重ねてきた。お客様とのふれあい・ぬくもりを感じ合う関係をつくり何度も来てもらうことで、お金は後からついてくると商いの考え方を改めた。また、商店街(コミュニティ)にいろいろな店が揃い魅力が増してこそ自店の商売も伸びると、コミュニティを見る目も変わった。そこまで到達・成長するのに10年以上を要した。ときには客の一言に教えられ自らを変えることが出来た。最近は街づくりに共感した地元の主婦や、よその市や国出身者が空き店舗を生かして、想いを込めた店づくりを行っている。
出店は類が友を呼ぶ形で増えているが、商店会役員が世話に当たっている。市民の中から商店街応援団がうまれ、いまや彼ら若者が街づくりボランティアの主力となり活気をつくりだしている、と語ってくれた商店会会長の渡辺彰さんは街(コミュニティ)づくり18年目のリーダー。はじめは小布施や栃木市など方々を訪ね歩き、茨城大学の力も借りて、今のコンセプトにたどりついたとのこと。今なお空き店舗が多いことなど課題を抱えているが、会員の協調、商店街大好き市民の広がりでコミュニティの縁が深まり、そして鯨ケ丘商店街を愛する客が着実に増えていることなど、街づくりの楽しさをしなやかな感性で語って下さった。
併せて、行政の各種施策が効果を発揮していることや、市職員の熱意を感じる調査だった。


投 稿

時効廃止と厳罰化の風潮に思う

飯田三年(当研究所事務局長)
                              

 4月27日、殺人など12の罪の時効廃止を柱とする「改正」刑事訴訟法が成立し、異例の即日施行となった。
 時効廃止をめぐっては、一部識者等の間で問題視されていた。例えば、日弁連の公訴時効検討ワーキンググループ座長の岩村智文弁護士は、主として冤罪の危険が高まるという観点から反対論を展開している(朝日新聞2月20日「オピニオン異議あり」)。もっともな主張と思う。私は、こうした最近の厳罰化風潮を、特に民主主義の観点から危惧してきた。

シートベルト義務化への疑問

 1986(昭和61)年、「改正」道路交通法により運転席・助手席のシートベルト着用が罰則付きで義務化された。(高速道は前年から義務化)
本来、刑事法令は、他人の生命・身体・財産を侵害することに対する規制である。だから「自分の生命・身体」を損なう行為である自殺を図っても、それ自体は罰せられることはない。自己決定権(自分の運命=将来は、自ら決める権利を有する。)は、基本的人権なのである。当時、こうした観点から良識ある法律家等は、運転者へのシートベルト義務化に疑問を呈していた。

(注)助手席や後部座席のシートベルト義務化は「他人の生命・身体」の損傷を防ぐための規制であるから、規制する合理性がある。

 もっとも、事故等に伴う「処理」で迷惑をこうむる人が受ける損害の蓋然性(可能性が大きいこと)に着目して規制するという論理なら、ある程度の正当性があるのかも知れない。これと同じ理屈の面はあるが、バイク運転者のヘルメット義務化は、未成年者の死亡事故等が多いことに着目して「将来を担う人材を保護し育成することは社会の責任である」という観点から、一面、合理性があるともいえよう。
 要するに、何でも法律で規制し、効果が薄いなら規制や処罰を強化するという発想は、民主主義の観点から大いに疑問があると言いたい。

飲酒・喫煙の規制強化の問題点

 飲酒運転は結果責任を問えば足りるとする考え方が世界的にあったと思う。今はそれ自体を厳しく処罰するという考え方になってきた。喫煙についても、非喫煙者の権利が年々尊重されるようになった。このような傾向を否定するつもりはないが、民主主義の基本を踏まえたうえでの結論であるべきだ。

(注) たばこは、健康に悪いばかりでなく、肺がんなどの治療費を考慮すると税収以上にマイナスだともいわれる。そうであるなら、麻薬と同様、製造・保有・喫飲を法律上禁止するべきだという理屈が成り立つのではないだろうか。アメリカにおけるかつての禁酒法のように。

 このように、自分がしないこと、好きでないことを強く拒否する傾向が強まっている。自分と同じ人間は受け入れ、違う人間を拒むことになりやすく、排外主義に繋がるものといえよう。

厳罰主義と時効廃止は時代逆行

 先ごろ、光市母子殺人事件の裁判が大きな問題になった。被害者や被害者家族等の権利が余りにも軽視されているということから厳罰主義の風潮が加速された。被害者等の権利を擁護するために厳罰が必要であるという主張は、その気持は別として、論理的必然とは思えない。
 厳罰主義が暴走すると、「犯罪者は社会の敵」にとどまらず「社会に不要だ。監獄でメシを食わしておくのはもったいない」になり、社会的弱者や「負け組」に対する偏見・排除に結びつくことを心配せざるを得ない。昨年から始まった裁判員制度は、本来は司法民主化に貢献する面を有すると私は思うのだが、現状は厳罰化の方向に利用され、危うさが目立つだけである。

 時効制度は、民事・刑事を問わず、社会の安定(ここでは“安定”の意味には言及しない。)に寄与している。今日の風潮は、あたかも封建時代の「仇討ちの論理」がまかりとおるようである。重大犯罪に限定しながらも時効の廃止・延長の動きは、社会進歩に逆行するものである。
 個人的には、過去のことをいつまでも引きずらず、未来に向かうためにも、時効制度は有意義であると思っている。

「寛容と忍耐」を大切にする社会へ

 半世紀前、60年安保で退陣した岸信介の後を継いだ池田勇人首相のスローガンは「所得倍増」と並んで「寛容と忍耐」であった。その後の高度成長を牽引し、国民に寛容と忍耐を強いるものではあったが、地域や職場における人間関係を律する大切なキーワードであると思う。
 自己決定権は、皮肉にも今日の新自由主義の自由競争・規制緩和とオーバーラップするが、実は古典的な自由主義と民主主義の題目でもある。住民福祉を真に重視する社会を展望するとき、厳罰主義や規制強化の道ではなく、「忍耐と寛容」が重視される地域社会こそ求められるのではないだろうか。
          

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