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第15号

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「いばらきの地域と自治」(第15号)


 

  • 安保ん丹効き目信じる脳タリン
  • 不具合いの大きな顔で春政り
  • 一輪のニ弁のわきで酒をつぎ
  • 確定をする程もなしおぼろ酒

作:泉  明 羅

(泉 明羅・本名 福田正雄、水戸市在住、句歴十年、所属 元吉田川柳の会)



百 里 基 地 の 危 険 性 の 増 大

岩清水 理

(原水爆禁止茨城県協議会事務局長)

 今年1月29日から2月5日まで百里基地において日米共同訓練が実施された。共同訓練は2007年10月にはじまり、4回目となる今回は、「タイプⅡ」(6~12機の米軍戦闘機が8~14日間参加)へと「レベルアップ」された。米軍嘉手納基地からF15が6機、米兵90人が飛来し百里基地のF15、F4各4機とともに鹿島灘沖で敵・味方を想定しての戦争訓練を繰り返した。騒音は激しく、付近では「電車通勤時の線路下の音」に相当する100デシベルとなった。
 米兵は基地内に宿泊しているが、今回はじめて米軍の要請で米兵が地元の幼稚園を訪れて餅つきなどを行い、小学生を基地内に招いてサッカーなどで「交流」したと報じられている。(2月2日朝日・茨城新聞など)。

 今後の共同訓練では、機数、日数、米兵数ともに増加していく危険性が予想される。
この訓練の出発点は、2006年5月1日の「在日米軍再編最終報告」で示された「再編実施のための日米のロードマップ」である。現在大きな問題となっている普天間基地「代替」施設などもそこで決められた。
 百里基地は、他の5基地(千歳・三沢・小松・築城・新田原)とともに訓練移転地として指定された。その中では「将来の共同訓練・演習のための自衛隊施設の使用拡大にむけて取り組む」と明記されている。 そういう視点から、今月開港する「茨城空港」のあり方を注視する必要があると思われる。(2010年3月8日記)


投 稿

「限界集落」の活性化について

茨城大学人文学部 地域社会研究室
帶刀 治(たてわき いさお)

はじめに

私はこの3月末で1969(昭和44)年4月から40余年務めてきた職場を定年で退職することになります。「その後、どうするのですか?」という問いの答えに悩まされて、苦し紛れに「出身地の出雲に帰って、限界集落の活性化にでも取り組みます」などといっていたら、そのうち次第に引っ込みがつかなくなって、とうとう、こんな文章を書かざるをえない仕儀となりました。
 振り返ってみれば、1960年代(昭和35年以降)の工業化・都市化などによる大都市と地方農山漁村の「地域間格差」、70年代後半以降の少子化・高齢化などによる「世代間格差」、そして数年前からの世界同時不況による正規・非正規雇用などによる「雇用格差」と「所得格差」の拡大など、地方農山漁村地域とそこに居住する住民が直面する問題というか克服すべき課題は常に存在し続けてきました。

1.私の林業経営・山村社会調査研究

 私は、1967(昭和42)年4月、法政大学大学院社会科学研究科社会学修士課程に進学。その前の学部4年生の最後の春休みの2月早々から、林野庁の外郭団体である、確か「林業改良普及協会」というところから依頼された「山村社会の姿と動き」をテーマとする、秋田・尾鷲(三重県)・北山(京都府)・智頭(ちず、鳥取県)の4つの林業地帯というか、山村地域の調査に参加した。
その林業地帯の秋田・三重・鳥取県庁・京都府庁とか、平成の大合併によって、今ではもう名称も定かでないが、関係市町村行政の担当課での資料収集と担当者へのヒヤリング=聞き取り調査、さらに、そこの森林組合や山村集落のリーダーである、確か智頭では「山もち」と呼ばれた林業経営者、「木挽き(こびき)」さんといわれた林業労働者、「製材所」などでの聞き取り調査など、秋田の東北弁や北山の京都弁、智頭の出雲弁のような方言(ただし、私は出雲市出身だから、智頭の時は全然平気だったが)の聞き取りは容易でなかった、という記憶は今でも残っている。
 そうした苦心惨憺たる山村調査の結果は、私にとって最初の単行本となった北川他共著『山村社会の姿と動き』(林業改良普及協会)の出版と初めての学術論文である北川隆吉教授・安江孝司・森 典子・帶刀 治「林業における資本主義的経営の社会的基盤-『山村社会』研究ノート」を法政大学社会学部学会『社会労働研究』(1968)に発表することができた。
 そうした山村地域の調査研究に並行して、私には「茨城県が鹿島とかで何か大変な地域開発事業を始めたらしいから、君は茨城の鹿島にいって、山村の調査と同じように資料収集とヒヤリング調査してくれないか」と北川先生に命じられた。大学院生の最初から山村の過疎地域と「鹿島臨海工業地帯」という開発地域を同時並行的に調査研究する機会を得たのは、今から思えば、ものすごく幸いなことだった。
だが、その時には春休みも、夏休みも5日から1週間もかけて、水戸市の茨城県庁、鹿島町にある県の出先機関の開発事務所での行政関係資料の収集とヒヤリング調査、また、その町にある住友金属工業鹿島製鉄所や三菱油化(現、三菱化学)石油コンビナートの現地建設事務所、そして港湾建設や工業団地造成のために移転しなければならなかった農村集落のリーダー=区長さんや、農業と土建業の兼業?というか、そうした住民の方たちにも聞き取り調査を続けねばならなかった。
もっとも、そうした鹿島での調査研究によって、茨城大学の地域総合研究所から鹿島の調査に来ておられた先生方とも知り合って、沢山の資料やヒヤリング先についての情報を教えてもらい、その結果をいかにも私が調査したかのように報告して、北川教授には「よく調べたな!」と誉められもした。しかも、その時に知り合った茨城大学の佐藤守弘助教授と北川先生は、北川先生が東大助手のとき佐藤助教授は院生だったとかで、私は、そうした因縁というか関係によって茨城大学に助手として赴任したのだった。

2.「限界集落」についての先行研究

 「限界集落」という用語とそれに関連する問題を最初に提起した大野 晃(長野大学)教授の最近の論究(『山村環境社会学序説-現代山村の限界集落化と流域共同管理』2005、農文協)によると、高知県池川町のK集落では、1960年から90年の30年間に、世帯数は40→19世帯に、居住者は142→25人と激減しており、1960年代からの高度経済成長による若年労働力の流失、70年代は林業不振を背景とした国有林野の合理化・減量経営によって、K集落の林業労働者が「挙家離村」、80年代は残された高齢者の病気入院、老人ホーム入所、死亡などによる世帯減、人員減だとしている。その結果、居住者の平均年齢は66歳、高齢化率56%となっている。
 大野教授の同書では、そうした「限界集落」のケース・スタディー(事例研究)による現状分析も多数行われているが、なかでも高齢者の生活状態について、「一日誰とも口を利かないで過ごすことが多く、月に1回やってくるホーム・ヘルパーと話をするのが唯一の楽しみだ」とするケースや「タンスに死装束を入れ、その上に『私が死んだら、くるしいので、帯はしめないで』と書いた紙が置いてあった。死に対する老人の美学をみる思い」といったケースなどを紹介している。
 そして、大野教授は「こうした現象は、高齢化で集落の生活共同体的諸関係が弱化し、農林業にみる社会的生産活動が喪失している点と深くかかわっており、保健婦はそれを『閉じこもり症候群』と呼んでいる」と伝えている。

 そのうえで、「限界集落化」の過程、つまりプロセスについて、1)人口・戸数の激減による集落規模の縮小、2)後継ぎ世帯の流失、老人夫婦世帯化のなかで独居老人世帯の集落滞留、3)社会的共同生活機能の低下、相互交流の減少と「閉じこもり」的生活、4)集落構成員の社会的生活の維持困難。こうした過程・プロセスを経て、社会生活を営む限界状況におかれている集落、それが「限界集落」であるとする。
 そこには、林業不振の問題、多発している林業労働者のチェーンソーによる振動病問題、労働力確保にかかわる後継者問題、独居老人の生活問題など、さまざまな林業・山村問題が重層化、凝縮されて発現している。その意味で「限界集落」は現代的貧困の蓄積地域である、とまとめている。

3.鳩山政権の「森林・林業再生プラン」

 大野教授によると、現代的貧困の集積地域である「限界集落」は、結局のところ、林業の産業としての存立が問われていることとなり、その現状を打開するには、改めて林業の産業としての再生というか振興が主要課題ということになる。そこで、次のような事例に注目が寄せられ、鳩山新政権の「森林・林業再生プラン」のモデルとされるようになった。
 それは、京都府南丹市の日吉町森林組合での取り組みであり、そこでは、林道を整備し、効率的な間伐作業を進めるには、10~30ヘクタール(町歩)のまとまった林地が必要で、それを確保するためにも森林組合への加入率を上げなければならない。日吉町森林組合では加入率の向上はもとより、林道整備や間伐作業についても、森林組合の自主事業として取り組み、大きな成果を上げている。ところが、全国の他の多くの森林組合では国公有林の下草刈り・間伐作業などの公共事業に依存して、民有林には手をつけることがなく、放置してきたのが現状であるという。
 そこで、新政権の「森林・林業再生プラン」では、2008年現在24%に止まっている木材自給率を今後10年間で50%に倍増させる。そして木材加工、森林観光まで含めて100万人の雇用拡大につなげる、という政策目標を掲げ、日吉町森林組合での取り組みにみられるような施策展開を計画している。
 だが、自給率倍増にせよ、雇用拡大にしても、その実現は必ずしも容易ではないであろう。バイオ・エネルギーとか、住宅などの木材関連産業を活性化するには、それら基礎・素材型産業との連携が不可欠といわねばならない。また、雇用拡大についても、農林高校の復活・再編などの教育システムの見直しから手を付けて、さらに専門技術者の養成など、いずれも時間がかかり、10年程度の期間で容易に達成できる課題ではない。
 たとえ、昨年11月に緊急雇用対策として林道整備や間伐技術者の養成を打ち出し、2009年度第2次補正予算で林野庁予算を大幅増額したとしても、である。
 仮に、そうした対応策によって、産業としての林業が幾分その現状を打開するとしても、それだけで「限界集落化」の各過程・プロセスの進行を止めることはできないであろう。林業家の家族関係、地縁的社会関係などいった問題は容易に克服することができないからである。

むすびにかえて

 そこで、一定の役割なり機能が期待されるのは、そうした林業家、林業労働者、森林組合などの「当事者」たちを主要メンバーとする「特定非営利活動法人」、つまり「NPO法人」を組織して、新政権の「森林・林業再生プラン」に対応する林道整備や間伐技術者の養成などを緊急雇用対策や第2次補正での林野庁予算などを活用して実施することである。
 そうした取り組みの中で、林業家、林業労働者のみならず、山村地域の住民すべての家族関係、地縁的社会関係の再構築などについても、「当事者」自身の取り組みによって多少とも現状を打開することができるであろう。そのような「限界集落」の活性化に取り組むNPO法人の設立を、過疎問題が深刻な出雲の山村地域で、と私は考えている。


          

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